モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番「春」

   

モーツァルトの弦楽四重奏は全部で23曲ほどあるが、中でも最もモーツァルトが時間を気合いを入れて書いた作品が「ハイドンセット」と呼ばれる6曲からなる弦楽四重奏曲のシリーズである。その名の通り作曲家でモーツァルトの先輩でもあり年の離れた友人でもあったハイドンに捧げられている。このは6曲は、いろいろな意味で特殊で

  1. 作曲に費やした時間がとにかく長い
  2. 自発的な作曲
  3. 革新的技法

という、成立の過程からその中身にいたるまでどこまでも特別な存在である。頭の中で既に作曲を完成させていて、それをただ紙に写すだけといわれるほど、速筆だったモーツァルト、その天才がなんと2年以上の歳月をこの弦楽四重奏6曲にかけているのだ。いかに試行錯誤、推敲を重ねてこの曲集を完成させていったかがわかる。

次に自発的な作曲という点でもかなり特異な存在だといえるだろう。通常モーツァルトは貴族、興行主、教会など顧客から依頼を受け、それに受ける形で作曲をしている。ほぼ全てそのような経緯で作曲されているといっても良い。これは当然で、お金が入る当てもなく曲を作る労力をかけるのは無駄なのである。

違う見方をすれば書きたいものを書いた、ともいえるのかもしれない。通常、依頼を受ける形であればそれがどんなものにせよ、制約というものがある。楽曲の長さだったり、楽器の編成だったり、曲の性格なども決まってくるだろう。そうした制約がない中で作られたこの作品は、実に自由であり、極論唯一献呈を受けたハイドンに真価をわかってもらえれば良いと思って書いたのかもしれない。

依頼のない自由な作品は数は多くはないが実はほかにも存在する。近しい人のために作ったもの、研究のために書いた編曲など。面白いのが、こういった作品ほど手を抜かずに、むしろ気合いを入れて書かれているということである。もし、制約を受けずに書き続けていたらどんな作曲をしたのだろう。

3番目に上げた作曲技法上の革新的な部分というのも見逃せない。モーツァルトは勿論ありとあらゆる作曲家の中で最も有名な人物だが、音楽史という括りで見た場合実を言うとあまり重要視されていない。なぜならば、「西洋音楽史」において重要な人物とは「形式の発明者」か「和声の発明者」におよそ限られるからである。

モーツァルトがこのハイドンセットで挑戦した作曲上の革新部分は

  • ソナタ形式の発展
  • 半音階的和声

の二つだと思う。ソナタ形式はハイドンによって確立されたものとの認識が一般的だが、モーツァルトはこのハイドンセットにおいてこの形式のもつ可能性をさらに追求している。ハイドンが第1楽章のみに使用したソナタ形式を全楽章で適応してみたり、当時流行から取り残された対位法(フーガ)の形式を融合させたりした点だ。バッハが極めたフーガを代表する対位法の音楽は、バッハの死後急激に時代から取り残されていく。理由は複雑すぎるから。華やかでわかりやすい作品、メロディーが一つ残りは伴奏という音楽が既にモーツァルトの時代では主流になっていた。

そのフーガの作曲技法をモーツァルトは、研究して会得するのである。モーツァルトの初期の作品には一部の対位法的な手法を除いて本格的なフーガは登場しない。モーツァルトはバッハやヘンデルの作品を多く研究して得た技法をさらに自分の作品に活かしていくわけだが、すごいのはそのバランス感覚であると思う。一見正反対ともとれる、多声の音楽と単一メロディーの作曲法を同じ楽曲、楽章のなかで同居させてしまうのだ。この感覚がすごい。気が付いたら、多声部に、そしてまたいつの間にか単一メロディーに戻っている。この絶妙のさじ加減が聴く者のこころをくすぐるのだと思う。

因みにそうした対位法との融合が完全な形で体現されるのが第4楽章なのだが、いくら天才モーツァルトといえどいきなりこれを書けたのか、というとそうではないのではないかと思う。

1782年、このハイドンセットの第1番が書かれた年のモーツァルトの手紙の中に「僕は今バッハのフーガの楽譜を集めています。ヘンデルのものも」という記述があり、やはり積極的に対位法の技法を習得しようとする証拠があるのだが、モーツァルトはその楽譜をただ眺めるだけでなく、編曲(もしかしたら写譜もしていたかもしれないが)によって勉強することになる。勉強してみるとわかることだが、対位法は難しくできたとしても1年で対位法を使って良い曲を書くのは不可能に近い。

ここはさすが天才と云われるモーツァルト、それを見事に「語法」として完全に自らのものにしてしまう。モーツァルトがなぜフーガを使ったのか、この問いに完璧な答えを得るのは難しいが、私はモーツァルトがこのフーガという技術を、何か神聖な、世俗を超えたものとしてとらえていたのではないかと考える。聴き障りの良いだけの作品を作ろうと思ったとき、フーガという選択肢はないのではないか。バッハから受け継いだものは技法のみならず、その音の先にある精神ではないかと思う。

モーツァルトは面白いことにこの作品を書いたあと、多くこういったフーガとの融合を図った作品を多くは書いていない。なぜか、一つはただ楽しむだけの曲には向かない技術であること、流行でない、注文もないから、そして時間と労力がかかりすぎるからだろう。

献呈を受けたハイドン、モーツァルトの自宅で、モーツァルト自身が弾くのを目の前で見て聴いて何を思っただろう。ハイドンの残した「私の知る限りの最も偉大な作曲家」との大賞賛の言葉が残っているが、恐らく中でもこの一番の精緻な、そしてフーガで見られる人智を超え技術の先を見たのだと思う。

因みにハイドンもフーガを弦楽四重奏の中で用いているものがある。こちらも良い作品なので次回紹介したい。

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